なんばエリア情報
戎橋筋商店街情報
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商店街の歴史
昭和から現代へ ―いつもあたたかな心があった―
瓦礫の中でも途絶えることのない往来

昭和五年の戎橋の光景

大空襲の被害を受けた
えびすばし筋千日前以北の惨状
昭和7年、南海電鉄難波駅として南海ビルが新築されると、その大部分のフロアを占めて高島屋がオープン、日本で始めての全館冷暖房完備の百貨店でした。これによって難波駅から高島屋~えびすばし筋~心斎橋筋~大丸・そごう、へとショッピングするミナミの定番コースができあがります。昭和13年には、隣の御堂筋に地下鉄が開通し、難波駅が開業、えびすばし筋はさらに利便性が高まります。しかしその後、時代は戦争の道を突き進んでいきます。
昭和16年に太平洋戦争が勃発。大阪市内が戦争の最大の被害にさらされるのは終戦の年、昭和20年3月の大阪大空襲以降でした。終戦の前日まで大阪市内は30回あまりの空襲を受け、大阪市の中心部は見渡す限りの焦土と化しました。しかし、たとえ戦争が激しさを増しても、ミナミは人々のよりどころとなっていたので、人の往来が途絶えることはありませんでした。そして終戦。瓦礫だらけになりましたが、えびすばし筋を頼りに人々が集まり、すぐににぎわいが戻ってきました。

蓬莱食堂店舗外観設計図と当時の広告
(写真提供:(株)蓬莱)

宝恵駕篭行列
(写真提供:和田謙一)

小倉屋店舗前の風景と当時のチラシ(写真提供:小倉屋)

活気がもどった戎橋(昭和29年)

戦後の復興とともに、えびすばし筋は街の活気を取り戻していきました。10坪ほどの広さの店はどこも人でいっぱいで、商売を覚えるために弟子入りした小僧をはじめ店員だけでも8人はいる店もあったから、お客さんもあわせると大混雑したのでした。
昼間のえびすばし筋には、リーゼント姿の男性や長いスカートをはいた女性がダンスを楽しみに、夜には、商店が閉まってから出る夜店を楽しみに集まってくる子どもたちでにぎわいました。
元禄、大大阪につづく、ミナミの3つ目の最盛期
昭和30年代から40年代にかけて、えびすばし筋の周辺の姿が大きく発展していきます。戎橋筋商店街の最初のアーケードは昭和37年に設置されています。

えびすばし筋の南の入口の正面にある高島屋の、さらに南隣には、昭和25年に大阪球場が建設されて、南海ホークスのホームグラウンドとして多くのお客様を集めました。昭和34年、南海は杉浦投手の4連投の活躍で、宿敵巨人を倒して日本一になります。「涙の御堂筋パレード」に多くのファンがお祝いにつめかけました。その5年後には地元の阪神タイガースと日本シリーズを戦い、再度日本一に輝きました。大阪球場は平成10年に営業を終了し、その跡地は再開発され、なんばパークスが誕生します。
えびすばし筋の北の玄関口にも、若者を引きつけるスポットが誕生します。ジャズ喫茶「ナンバ一番」(現在の戎橋南東詰近く)です。ロカビリーやグループサウンドの流行とともに、熱狂的ファンであふれかえりました。坂本 九、平尾昌晃、内田裕也、オックス、ファニーズ(ザ・タイガース)、和田アキコ・・・当時の超有名アイドルを目当てに、若者たちが行列をつくりました。出演後には、えびすばし筋を歩くアイドルの姿もよく見かけられました。
昭和44年には、地下鉄千日前線が開通、翌年には近鉄奈良線が開通し、えびすばし筋と交差して東西に通る鉄道が相次いで誕生し、これで「なんば」駅は全部で4つに増えました。翌年に千日前線・近鉄奈良線と平行する形で「虹のまち」の工事が始まり、四ツ橋筋と堺筋を地下でつなぐ日本最大の地下街が完成します。
昭和47年には、南海難波駅改造工事が始まり、コンコースが3階に移り、昭和55年にはその下にナンバシティがオープンしました。大きな吹き抜けの広場に、モニュメントのロケットが取り付けられ、なんばでの待ち合わせのスポットとなりました。
このころ、クリスマス前にもなると、最新情報が飛び交うえびすばし筋なら、いち早く人気商品が見つかるだろうと期待する若者たちの活気にあふれ、休日の通行客が20万人近くに達して、商店街を横切ることも難しいほどの客足でした。
伝統的なミナミの衰退、ミナミの新興エリア
ミナミ全体に目を移すと、昭和44年に御堂筋の西側にループという喫茶店がオープン、若者たちが西海岸から買い付けてきたサーフボードやレコード、衣類をガレージなどで売り、やがてアメリカ村とよばれるようになります。
昭和53年には四ツ橋沿いにカフェバー「パームス」がオープン、しかしアメリカ村の家賃は高騰、低年齢化が進み、当初の面影を失っていく中で、平成の時代に入って堀江にカフェ・ミュゼがオープン、堀江の活性化が進み、オシャレな街としてのブランドが形成されていきました。
また、同じころ、南船場の倉庫や業務ビルが商業施設に生まれ変わり、一つのブームとなり、こちらもお洒落なゾーンとしての評価が高まります。伝統的なミナミのエリアが衰退を始め、外へと拡大していく時代でした。
えびすばし筋を含む伝統的なミナミエリアは、道頓堀・千日前の劇場が相次いで閉館、道頓堀川もかつての風情を失い、風俗店やキャッチセールスが増加しました。鉄道の利用者が減ったことも相まって通行客数も15年間で4割も減少しました。戎橋も「ひっかけ橋」という汚名を着せられ、それが当たり前の風潮となったのは、まちの衰退を見過ごしてきた街の責任も大きいと感じたミナミの商店街が結束を固めます。
ミナミの再生へ
平成17年、ミナミ環境浄化推進協議会が設立されます。えびすばし筋も参加し、毎週のように防犯巡視、放置ごみの回収、そしてミナミぐるみで放置自転車禁止区域の摘要に取り組みます。
大阪市も「水都再生」に舵を切る中で、道頓堀川の水辺を遊歩道に整備する事業が始まり、同じ年に第1期が完了、どんどんと延伸工事が進んでいます。宗右衛門町では無料案内所を抑制して、道路を石畳に舗装する事業が進行しています。
えびすばし筋の南側では、南街会館の建替えにより、なんばマルイが進出、興業映画発祥の地に関西有数のシネマコンプレックスが誕生しました。
大阪球場の跡地にはなんばパークスが誕生、南海ビルは昭和7年当初の壁面を保存して磨きをかけ、ロケットのあった場所はオシャレな広場に再生されました。平成20年には、阪神なんば線が開通、えびすばし筋から、奈良へ、神戸へとアクセスが飛躍的に向上しました。
えびすばし筋には、いまや、大阪、京阪神、全国からのお客さまに加えて、韓国、中国や台湾、香港などアジアからのお客さまが増加しています。
さまざまな国の人たちが、行き交うミナミ。どんな人も温かく受け入れる懐の深さこそ、変わらぬミナミのよさです。そのミナミの玄関口であり、花道とし、えびすばし筋は街の姿は変わっても「品があり、楽しく、親しみやすい街」という雰囲気をこれからも受け継いでいきます。
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